郷原城跡縄張図

郷原城解説

 古谷地区潜竜院跡の上の方岩櫃登山道赤岩口付近に郷原の要害跡があります。この要害の規模は柳沢城(岩鼓の要害)より更に小さく、用途としては岩櫃城の支城であり切沢方面の防護と、岩櫃山間道を抜けて岩櫃城を攻められないように配置した物と思われます。真田に攻められたときに、柳沢城では三百騎配置されましたが此処は更に少なく、五十騎から百騎程度の配置で手一杯だったでしょう。斉藤氏時代の記録がないところを見ると、あるいは真田昌幸の時代に潜竜院と共に築城されたのかもしれません。詳細は、全く記録にも残っていませんので全くわかりません。

 この城は、南北に展開していて堅壕で三つに切られていたと思います。本城域は四つの郭でなっていて表側に梯郭式で本郭、二の郭、三の郭と展開して堅壕で先端の細長い郭と大堀きりで区切られていたような作りとなっています。本郭と思われる裏に、補助郭のような物もあります。この本城域には、虎口と思われる所が二カ所有り馬防柵、と木戸があったのかも知れません。しかし、この城の規模は非常に小さく小屋や方と組で考えた方がわかりやすいかも知れません。

 先端部分には、細長い各小郭が三つあり細い堅壕で区切られていて、その際先端の小さな郭には井廊があったのでしょうか。現地を良く確認して、研究したいと思います。ただし、この城に関して全く資料は残っていません。しかし岩櫃城にとって切沢善導寺、潜龍院とともに西側を守重要な拠点の一つであったのは間違いないでしょう。