戦国の戦陣と領地統治を追加

 戦国の戦陣、序章を載せました。陣触から兵糧の調達、夫丸の役割と調達です。この次は、陣容について解説します。小田原北条氏の兵役、五十貫文の兵役から江戸時代の各石高の兵役を解説していきたいと思います。戦国時代の関東では、江戸時代初期まで貫文で領地を表していました。それは兵役を課すときに、お金で表した方が石高よりべんりだったと言うことのようです。江戸時代初めほとんどの大名が、貫文から石に直しています。真田信之は、上田から松代に移すとき石高制にしています。一貫文三石という形で石高に変えました。仙石氏が小諸から上田に移るときは、一貫文二石五斗でした。この事から、信之が家臣に対していかに配慮していたのかがうかがわれます。まあこれが信之の曾孫、信安の代以降真田藩は貧乏と言うことになった原因だったのですが。しかし、その後宇和島伊達藩から養子をもらい、白石の松平家からも養子をもらい幕末には江戸幕府の老中まで出しています。この基盤は曾祖父幸綱、叔父信綱、父昌幸の代に築き上がっていたのかも知れません。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


前の記事

真田氏による吾妻統治

次の記事

関東管領上杉氏