吾妻鏡 第二 大神宮に奉納する神馬の記述

神馬

養和二年(1282)年壬寅正月二十八日巳亥

(伊勢)大神宮の奉納する神馬・砂金等のことにつき、今日潔斎したものが献じた。(頼朝)御所でこれらを御覧になり、直接お選びになった。まず金百両を千葉介常胤・小山小四郎朝政等が進上した。次ぎに神馬十頭を庭上に引き立てた。(藤原)俊兼が簀子に控え、馬の毛色を記録した。

一疋鴾毛(江戸太郎(重長))
一疋栗毛(武田太郎(義信))
一疋青黒(高羽次郎)
一疋鹿毛(小栗十郎(重成))
一疋栗毛(河越太郎(重頼))
一疋河原毛(下河辺四郎(政義))
一疋栗毛(吾妻八郎)
一疋鴾毛の鮫(豊田太郎(幹重))
一疋葦毛(葛西三郎(清重))
一疋黒瓦毛(中村庄司(宗平))

(頼朝)以上の御馬を選定した後、(度会)光倫神主の宅へお預けになった。各々飼口を副えたという。

 この記述は、吾妻鏡に初めて吾妻氏のことが載ったものである。吾妻八郎が誰であるかはっきり特定は出来ないが、恐らく助亮のことではないだろうか。または、助亮の前か?吾妻八郎の前が下河辺四郎とあるので、秀郷流吾妻氏ではないでしょうか。吾妻氏は秀郷流吾妻氏の他に、二階堂流吾妻氏や村上源氏吾妻氏も伝承では存在していたようです。しかし、上記の吾妻氏は下河辺氏や淵名氏と同族であったのでは無いでしょうか。この馬は、市城の牧で育てられた馬の可能性は高いと思います。これは、平氏滅亡の前の記述である。これは「吾妻鏡」の中で最初に登場する、吾妻氏である。ただ諱はわからず、ただ吾妻八郎とあるだけなので誰であるかはわからない。

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