地方における言葉の表現について

 今月11月4日、中学校の同級生と群馬県は榛名富士に登ってきました。ここでの会話の中で私が、「えぼる」という言葉を使いました。するとほかの同級生の多くは、「意味が分からない」というのですね。まあ意味としては、「いじける」とか「ぐずる」といった意味に近い表現ですが、私としては「えぼる」という表現は「いじける」「ぐずる」といったものではなく「えぼる」は「えぼる」なのです。また、「強い(こわい)」という表現もあります。この意味は食べずらい位に、固い食べ物があった時「この食べ物は強い」です。この「強い」は「怖い」ではなくまた、「固い」とも微妙に意味合いが違います。「強い」は微妙に「固い」とは意味合いが違います。さて、私が最近「古文書」の勉強を始めているのですがその取り組みは、にょろにょろ文字を一文字一文字に分けるところから始まり、活字を直して読み下し文にする。この読み下し文の表現が、「微妙に現代語訳にならないのではないのか」と最近感じています。古文書は現代語訳にせず、読み下し文のまま(旧文体のまま)理解するのが、昔からの日本語を見るにいちばん最適なように感じます。このようにしないと、微妙な、日本語の表現が変わってしまうように思います。また、地方の歴史を考えた時、「伝説・伝承」「二次史料」を完全に否定してしまうと、そこには歴史がなくなってしまいます。そして、この田舎町に残る「古文書」のほとんどは、江戸時代に書かれたものです。そして、戦国時代からそれ以前の文書と言われているものも、ほとんど「写し」なんですね。しかし、それをすべて否定してしまうと田舎町の歴史なんてなかったことになってしまう。そこで、本HPでは「伝説・伝承」「二次史料」ともに前置きして解説を入れています。その時代の事象の根拠を求めていくのも、もちろんそれを目指していきますが私は、現地主義ですので必ずその現地を確認して自身の感想(状況証拠)を交えて、これからもこのサイトで紹介してまいりたいと思います。この間、同級生と山に登った時の会話の感想と、私の古文書への取り組み方、歴史への認識を紹介いたしました。

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