第6回岩櫃フォーラムに参加して

 去る令和六年二月四日(日)、第6回岩櫃城フォーラムが東吾妻町コンベンションホールにて、主催:東吾妻町教育委員会、後援:群馬県・上毛新聞社・東吾妻町観光協会で行われました。講師に、江戸東京たてもの園学芸員:齋藤慎一氏、公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団調査役:飯盛康広氏を迎え、各「岩櫃城」についての見解を説明して戴いた。昭和三十年から四十年代の「山崎一先生」による見解以来、検討してこなかった新たな見解を両氏に説明して戴いた。特に飯盛康広氏は近年岩櫃城縄張図を手がけていて、新たな見解を述べられているのは興味深い。埋蔵文化財調査事業団については、上信道建設の伴う「三島根小屋城」の発掘調査なども行われ、東吾妻町に点在する山城について岩櫃城との関係性など、色々な課題が存在している。江戸時代以前の旧街道と城の関係など、「国指定史跡岩櫃城跡」だけではなく、周りの小さな城と江戸時代以前の旧街道との関係など、解明しなければならない事が山積している。東吾妻町教育委員会では、今年度から予算を付けて東吾妻町に存在する三十からある城跡の再検討も始まっている。また、「岩櫃城跡」についても国指定に向けた「発掘調査」しかされておらず、「城郭考古学」の観点で考えれば、もっと発掘調査をしていかなければ岩櫃城の全容は明らかにはならない。こう言うイベントにより、町民が「岩櫃城跡」や他の城跡などに興味を持って事業として進めていってもらいたいものである。東吾妻町社会教育課文化財保護係の吉田智哉氏は、東吾妻町に存在する既知の中世城館の再調査を進める方針を示された。江戸時代以前の旧街道と、既知の中世城館の関係を調べる事により「岩櫃城」の存在意義なども明確になって来るものと思う。曖昧な古い街道を特定する事により、当時の物流や人々の往来を調べる事により「岩櫃城」の存在意義も明確になると思います。齋藤慎一氏については、従来から「岩櫃城」に関して多くの論説を発表されています。「関東幕注文」による岩下衆の存在、一次資料による「岩櫃城」についての見解を示された。群馬県埋蔵文化財調査事業団飯盛康広氏は近年岩櫃城縄張図を起こされ、新たな見解を示された。この論説は未発表ではあるが、「研究紀要」によりこれから発表されるでしょうから、非常に楽しみでもある。両氏の見解の違いや一致などを参考にすると、「岩櫃城」の在り方がいっそう面白いものになってくると思います。第7回岩櫃フォーラムの開催を期待して、結びに変えさせていただきます。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA