2024年10月25日 / 最終更新日時 : 2024年10月25日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第二 養和元年閏二月二十三日己巳 養和元年(1181)閏(うるう)二月二十三日己巳(つちのとみ) (源)義広が三万余騎の軍士を率い、鎌倉に向かって進んできた。まず足利又太郎忠綱(藤姓足利氏)を誘った所、忠綱はもとより源家(頼朝)に背いていたので、承知し […]
2024年10月16日 / 最終更新日時 : 2024年10月16日 a-tomizawa 歴史資料 曽我物語 巻之第一 佐(すけ)殿(どの)、伊東(いとう)の館(たち)に坐(ま)します事(こと) かくて、隙(ひま)を窺(うかが)ふ程(ほど)に、其(そ)の頃(ころ)、兵衛佐(ひやうゑのすけ)殿(どの)、伊東(いとう)の館(たち)に坐(ま) […]
2024年10月8日 / 最終更新日時 : 2024年10月16日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第二 養和元年(1181)閏二月二十日庚寅 養和元年(1181)閏(うるう)二月二十日庚寅(かのえとら) 武衛(源頼朝)の叔父志田三郎先生(せんじょう)(源)義広が一族の縁故を忘れ、突然、数万騎の逆党を率い鎌倉を落とそうとし、常陸国を出て下野国至ったという。平家 […]
2024年10月7日 / 最終更新日時 : 2024年10月7日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第二 養和元年二月小一日戊寅(つちのえとら) 足利三郎義兼が北条殿(時政)の息女を娶った。また加々美次郎長清が上総権介(かずさごんのすけ)広常婿となった。両人とも、人柄が穏やかで忠貞(ちゅうてい)の志を持っており、(頼朝の) […]
2024年10月5日 / 最終更新日時 : 2024年10月5日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第一 治承四年(1180)十二月二十二日庚子(かのえね) 新田大炊助(おおいのすけ)入道上西(義重)が召しにより参上した。しかしすぐに鎌倉に入ってはならないと、命じられので、山内のあたりに留まった。これは、軍士たちを集めて上 […]