「神文」と「竹内文書」
古事記の元となる神文について
本日は、「古事記」の元となったと思われる「神文(かみふみ)」の成り立ちを紹介いたします。「神文」は香取神宮に代々、口伝として古代弥生語で伝えられてきた「天地創生」の物語である。古事記ではわからなかった、冒頭十七柱の神々の出所を解説したものである。そして「神文」は、古事記編纂以前からあった貴重な文献である。「古事記」では、冒頭十七柱の神々であるのに対して「神文」では三十四柱となっています。この古代弥生語は、奈良時代にはすでにわからなくなっていたようです。その内容の伝承は、紀元前300年頃にカメノコヤネという神とも人間とも言えない存在からのメッセージとして、その子孫の飛鳥・奈良時代の香取神宮の神職であった弓前値名(ゆまあてな)という人物に口伝として伝えらてきたものでした。この口伝で伝えられた古代弥生語を、漢字に当てはめて文書化したのが弓前値名だといわれています。さて、この神文は紀元前三百年の頃アメノコヤネより中臣氏の前身である中津・弓前(なかつ・ゆま)一族にくだされた「啓示」のようなメッセージであると言われている。この中津・弓前氏は後、中臣を名乗り「大化の改新」の中臣鎌足(藤原鎌足)に続いたと思われる。
竹ノ内文書について
「竹内文書」には二種類あり、「竹内文書」は茨城竹内家に伝わるものと、竹内祖といわれている竹内宿禰(たけのうちすくね)から伝えられてきた別系の「正統竹内文書」が有る。現在では、茨城竹内家は、明治時代に養子に入った下西庄次郎やその養子、下西家の巨摩などによって表されて「竹内宿禰が飛行船に乗って飛行船に乗って世界一周をした」とか「紀元前一年前後に活動していたイエス・キリストが垂仁(すいにん)天皇の時代(三世紀頃)来日」したりと滅茶苦茶な内容なのである。従って、現在は「偽書」という扱いになっている。「正統竹内文書」は元々「竹内神道」という歴史の竹内宿禰が、代々口伝で継承されてきたものである。この文書は本来、門外不出で家族でさえその内容、又はそれに関わった事さえ、語ってはいけないことになっていた。しかし、日本の古代史を語る上では、「神文」とともに「正統竹内文書」も重要なであると思います。