2024年9月30日 / 最終更新日時 : 2024年9月30日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第一 治承四年十二月二十日戊戌 治承四(1180)年十二月 戊戌(つちのえいぬ) (頼朝の)新造の御邸において、三浦介義澄が椀飯を献じた。その後御弓始があった。この事は事前に定められなかったものの、(橘)公長の二人の子息が特に巧みであるという話をお聞き […]
2023年9月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月5日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第一治承四年五月 鎌倉時代、滅びそうな吾妻氏を継承するため下河辺行家が吾妻に来たり、ようげつを退治して吾妻氏を継承したと伝わる。この下河辺氏が初めて「吾妻鏡」記載されているのでここに紹介します。吾妻に残る伝承では、後吾妻氏はこの行家の子 […]
2023年3月10日 / 最終更新日時 : 2023年6月5日 a-tomizawa 歴史資料 出浦対馬守原の新町に屋敷地を給わるの事 東吾妻町では、原町生誕400年をすでに行っている。しかし、その検証は一般的にされて居らずその根拠となるものを示していきたい。まず始めの文書は、出浦対馬守と大熊勘右衛門に信之から、沼田吾妻職方命じられた文書から。 沼田 […]
2023年2月11日 / 最終更新日時 : 2023年2月15日 a-tomizawa 歴史資料 曾我物語2 〔伊東(いとう)の二郎(じらう)と祐経(すけつね)が争論(さうろん)の事(こと)〕 かくて、二十五まで、給仕(きうじ)怠(おこた)らざりき。此処(ここ)に、思(おも)はずに、田舎(ゐなか)の母(はは)、一期(いちご)つ […]
2023年1月20日 / 最終更新日時 : 2023年2月11日 a-tomizawa 歴史資料 曾我物語序文 曾我物語は、曾我五郎十郎が源頼朝が富士の裾野で巻狩をした時に、親の敵である工藤祐経を討ち取ったという物語である。成立は鎌倉時代で、完成の域に達したのは室町時代の初めの頃だと言われています。そもそもの起こりは、祐親の祖父 […]
2023年1月8日 / 最終更新日時 : 2023年1月8日 a-tomizawa 歴史資料 曾我物語 曾我物語は、鎌倉時代中、後期時代に成立したと考えられている軍記物です。鎌倉時代に源頼朝が「富士の巻狩り」の時に、曾我兄弟の仇討ちを題材にしたもので、吾妻地方の伝説にある「三原野の巻狩り」が記述されている事から、その前文 […]
2022年10月7日 / 最終更新日時 : 2022年10月7日 a-tomizawa 歴史資料 天文十九年武田晴信判物1 この文書は、天文十九年武田晴信が真田幸綱に対して発給した文書です。まず、年来の忠信を褒め次に幸綱の本意、つまり真田郷を攻め取った暁には諏訪方三百貫文と横田遺跡上条と合わせて千貫文を与えるという、約束手形である。 諏訪 […]
2022年9月4日 / 最終更新日時 : 2022年9月4日 a-tomizawa 歴史資料 真田信幸充行状(天正十八年十二月十九日)大宮岩鼓神社 この文書は真田信幸が小田原の役の後、沼田藩主となり発行した充行状である。新たに父昌幸から独立して沼田藩主となった信幸が、本来五貫文であった社領を、七貫八百文に見直したものである。新たに自分の領地となった土地は、よく再検 […]
2022年7月9日 / 最終更新日時 : 2022年7月9日 a-tomizawa 歴史資料 天文十八年三月駒井高白斎記 下の文書は、駒井高白斎が記した「甲陽日記(高白斎記)」と言われるものの中に記されたものである。駒井氏は、甲斐源氏武田氏の庶流で巨摩郡駒井郷(山梨県韮崎市)を本拠とする一族である。出家前の諱は、政武とも昌頼とも名乗ってい […]