現在忍者というと黒装束で手裏剣を投げる、闇夜に紛れて敵の屋敷に忍び込むなど「景の軍団」というようなイメージがある。しかし、戦国の世というのは戦乱続きでいつ攻められるかも分からず、早く情報を仕入れて対処する必要があった。そのように考えると、諜報活動と、戦場におけるゲリラ活動は分けて考える必要があると思います。

 この吾妻の地に於いて多くの国人、郷士の者達が修験として修行を行っていた。そのもの達は、山に入り荒行を行うことで自然の変化や強靱な体力、多くの知識を併せ持っていたのではないでしょうか。そんなところに「吾妻には忍者がいた」と言う伝説になっているのでしょう。

 そして、そのもの達はめっぽう局地戦(山岳戦)が強く、個々の能力も高く平地部の野戦は不得意でも吾妻のような山間地形の戦では、いかんなく力を発揮していたのでしょう。吾妻衆は、こう言う猛者の集団で郷士連合のような物を形成していたのではないでしょうか。これは、伊賀や甲賀とはまた違った人達の集まりであったような気がします。

 ここでは、諜報活動とゲリラ戦を分けて解説していきたいと思います。

参考文献 忍者の歴史・境界争いと戦国諜報戦・他