2025年11月10日 / 最終更新日時 : 2025年11月10日 a-tomizawa 歴史 各地の郷士の事例と実態 貫高制は土地の面積に基づく課税方法で、兵役の人数把握が容易。一方、石高制は実際の収穫高を表す。郷士は自作農でありながら士分を持つ特権階級。地方ごとの郷士制度には実態に差があり、地域によって評価も異なる。
2025年11月2日 / 最終更新日時 : 2025年11月2日 a-tomizawa 歴史 吾妻における郷士について その二 -田村氏・・・吾妻郡嵩山の郷士 中之条五反田の郷士で、この地で九貫文(27石)を領した。記録では、清宗から現れる。清宗は天文十七年生まれと言われ、源頼信の子孫を名乗る。雅楽丞を称し、武田信玄に仕えた。吾妻は、武田勝頼が甲 […]
2025年10月27日 / 最終更新日時 : 2025年10月27日 a-tomizawa 歴史 岩櫃城は斎藤氏の本拠だったか その一 吾妻の伝承では「岩櫃城の斎藤基国(憲広)を真田弾正幸隆(幸綱)が攻めて武田の城にとなった」となっている。また、吾妻に残る文書などにも「加沢記」を中心に「吾妻郡略記」「吾妻記」等でもそのように記されている。しかし […]
2025年8月14日 / 最終更新日時 : 2025年8月14日 a-tomizawa 戦国の戦陣と領地統治 吾妻の郷士 その一 郷士制度について 戦国の世においては、ほとんどの家臣が自領に住んでいた。小さい地侍達は、「国人一揆」という形で戦国大名に仕え、戦時には決められた人数を率いはせ参じていたのです。安土桃山時代、江戸時代に入ると封建制度が確 […]
2025年7月3日 / 最終更新日時 : 2025年7月3日 a-tomizawa 歴史資料 養和元年三月七日癸未 養和元年三月七日癸未(みずのとひつじ) 大夫属(たゆうのさかん)入道(三善康信)が書状で次のように申し送ってきた。 「去る閏二月七日、後白河院の殿上で議定があり、武田太郎信義に対して、武衛(源頼朝)追討の院庁下文を下さ […]
2025年3月25日 / 最終更新日時 : 2025年3月25日 a-tomizawa 歴史資料 曽我物語巻之第一 杵臼(しよきう)・程嬰(ていえい)が事(こと) 此(こ)の者(もの)共(ども)が、心(こころ)をつくしける有様(ありさま)にて、昔(むかし)を思(おも)ふに、大国(たいこく)に、かうめひ王(わう)と言(い)ふ国王(こ […]
2025年2月19日 / 最終更新日時 : 2025年2月19日 a-tomizawa 歴史資料 曽我物語巻之第一 大見(おほみ)・八幡(やはた)が伊東(いとう)狙(ねら)ひし事(こと) 此処(ここ)に、祐経(すけつね)が二人の郎等(らうどう)大見(おほみ)・八幡(やはた)は、是(これ)を聞(き)き、斯様(かやう)の所(ところ)こそ […]
2025年1月7日 / 最終更新日時 : 2025年1月7日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第二 養和元年(1181)甲戌二月二十八日 (長沼)宗政が、傷を負った為に参上できなかった(小山)朝政の名代として、一族と今度加勢した者を率いて鎌倉に参上した。武衛(頼朝)は対面され、勲功についてお褒めになった。宗政・(下河辺)行平以下の一族は西方に居並び、(八田 […]
2024年12月18日 / 最終更新日時 : 2025年1月7日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第二 養和元年(1181)閏二月二十七日癸酉 武衛が若宮奉幣(ほうべい)された。今日、七日間の祈願が終了したのである。神前にひざまずき、三郎先生(せんじょう)の蜂起はどうなったのであろうかとつぶやかれた。その時、小山七郎朝光は頼朝の御剣をもって御供に仕えており、こ […]
2024年11月22日 / 最終更新日時 : 2024年11月22日 a-tomizawa 古代史・神話 「神文」と「竹内文書」 古事記の元となる神文について 本日は、「古事記」の元となったと思われる「神文(かみふみ)」の成り立ちを紹介いたします。「神文」は香取神宮に代々、口伝として古代弥生語で伝えられてきた「天地創生」の物語である。古事記ではわか […]