2024年11月22日 / 最終更新日時 : 2024年11月22日 a-tomizawa 古代史・神話 「神文」と「竹内文書」 古事記の元となる神文について 本日は、「古事記」の元となったと思われる「神文(かみふみ)」の成り立ちを紹介いたします。「神文」は香取神宮に代々、口伝として古代弥生語で伝えられてきた「天地創生」の物語である。古事記ではわか […]
2024年11月17日 / 最終更新日時 : 2024年11月22日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第二 養和元年(1181)閏二月二十五日辛未 養和元年(1181)閏二月二十五日辛未 足利又太郎忠綱は(源)義広に同意したが、野木宮合戦に敗北した後、先非を悔い、後日の咎めを恥じて密かに上野国山上郷竜奥に籠もり、郎従桐生六郎だけを呼び寄せて数日間隠れていたが、とう […]
2024年11月3日 / 最終更新日時 : 2024年11月3日 a-tomizawa 歴史 日本創造 古事記 神世のこと 日本の起源を書き記したものに「古事記」が有る。身近な所では、村社などの神社の神楽がこの「古事記」をもとにして作られているのをご存じでしょうか。「古事記」というと敷居が高いように思いがちだが、「神楽」と言えば […]
2024年10月25日 / 最終更新日時 : 2024年10月25日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第二 養和元年閏二月二十三日己巳 養和元年(1181)閏(うるう)二月二十三日己巳(つちのとみ) (源)義広が三万余騎の軍士を率い、鎌倉に向かって進んできた。まず足利又太郎忠綱(藤姓足利氏)を誘った所、忠綱はもとより源家(頼朝)に背いていたので、承知し […]
2024年10月16日 / 最終更新日時 : 2024年10月16日 a-tomizawa 歴史資料 曽我物語 巻之第一 佐(すけ)殿(どの)、伊東(いとう)の館(たち)に坐(ま)します事(こと) かくて、隙(ひま)を窺(うかが)ふ程(ほど)に、其(そ)の頃(ころ)、兵衛佐(ひやうゑのすけ)殿(どの)、伊東(いとう)の館(たち)に坐(ま) […]
2024年10月8日 / 最終更新日時 : 2024年10月16日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第二 養和元年(1181)閏二月二十日庚寅 養和元年(1181)閏(うるう)二月二十日庚寅(かのえとら) 武衛(源頼朝)の叔父志田三郎先生(せんじょう)(源)義広が一族の縁故を忘れ、突然、数万騎の逆党を率い鎌倉を落とそうとし、常陸国を出て下野国至ったという。平家 […]
2024年10月7日 / 最終更新日時 : 2024年10月7日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第二 養和元年二月小一日戊寅(つちのえとら) 足利三郎義兼が北条殿(時政)の息女を娶った。また加々美次郎長清が上総権介(かずさごんのすけ)広常婿となった。両人とも、人柄が穏やかで忠貞(ちゅうてい)の志を持っており、(頼朝の) […]
2024年10月5日 / 最終更新日時 : 2024年10月5日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第一 治承四年(1180)十二月二十二日庚子(かのえね) 新田大炊助(おおいのすけ)入道上西(義重)が召しにより参上した。しかしすぐに鎌倉に入ってはならないと、命じられので、山内のあたりに留まった。これは、軍士たちを集めて上 […]
2024年9月30日 / 最終更新日時 : 2024年10月13日 a-tomizawa お知らせ 国際忍者学会第7回大会吾妻で開催 国際忍者学会第7回大会が、群馬県吾妻郡の中之条町と東吾妻町で去る9月14日に開催されました。「吾妻には真田忍者がいた」と言うことで盛り上がったのですが私の先祖「富澤」、真田藩家老「出浦氏」、元沼田藩士「横谷氏」、東吾妻 […]
2024年9月30日 / 最終更新日時 : 2024年9月30日 a-tomizawa 歴史資料 吾妻鏡巻之第一 治承四年十二月二十日戊戌 治承四(1180)年十二月 戊戌(つちのえいぬ) (頼朝の)新造の御邸において、三浦介義澄が椀飯を献じた。その後御弓始があった。この事は事前に定められなかったものの、(橘)公長の二人の子息が特に巧みであるという話をお聞き […]