2022年10月19日 / 最終更新日時 : 2022年10月19日 a-tomizawa 歴史 横谷地区より川原畑踏査2回目 令和4年10月15日(土)、横谷地区~川原畑に続く山道を踏査してきました。今回は、前回踏査した所から分岐の脇道を進み、横谷城(雁ヶ沢城)跡に繋がる尾根を目指しました。谷を横断して、一番南の尾根に出て茂四郎山を経由して前 […]
2022年10月7日 / 最終更新日時 : 2022年10月7日 a-tomizawa 歴史資料 天文十九年武田晴信判物1 この文書は、天文十九年武田晴信が真田幸綱に対して発給した文書です。まず、年来の忠信を褒め次に幸綱の本意、つまり真田郷を攻め取った暁には諏訪方三百貫文と横田遺跡上条と合わせて千貫文を与えるという、約束手形である。 諏訪 […]
2022年9月5日 / 最終更新日時 : 2022年9月5日 a-tomizawa 歴史 吾妻鏡の三原野の巻狩 建久四(1193)年3月25日、武蔵国入間野で追鳥狩が行われた。藤沢治郎清親が百発百中の腕前を見せて雉五羽を捕獲し、まなづる二十五羽を捕獲するという名誉を挙げた。将軍家(頼朝)は御関心の余り、お乗りになっていた一郎という […]
2022年9月4日 / 最終更新日時 : 2022年9月4日 a-tomizawa 歴史資料 真田信幸充行状(天正十八年十二月十九日)大宮岩鼓神社 この文書は真田信幸が小田原の役の後、沼田藩主となり発行した充行状である。新たに父昌幸から独立して沼田藩主となった信幸が、本来五貫文であった社領を、七貫八百文に見直したものである。新たに自分の領地となった土地は、よく再検 […]
2022年9月1日 / 最終更新日時 : 2022年9月1日 a-tomizawa お知らせ 三原三騎・吾妻四騎の横谷左近の本拠 横谷氏と横谷地区 真田十勇士、猿飛佐助のモデルになったとも言われた横谷(よこや)氏、その本拠であった横谷地区を紹介します。戦国末期の当主は横谷左近行重で、長篠の戦い、小田原の役、大坂の陣など主立った戦に参加した歴戦の勇 […]
2022年8月16日 / 最終更新日時 : 2022年8月16日 a-tomizawa お知らせ 鳥羽伏見の戦い 徳川慶喜の弱気 慶応三(1867)年、岩倉具視の画策で「討幕の密勅」を手に入れたとされています。しかし、これは薩長と岩倉具視の陰謀で、それを知っていた徳川慶喜は「大政奉還」で、国政を朝廷に返した。慶喜は、これにより勢力 […]
2022年7月19日 / 最終更新日時 : 2022年7月20日 a-tomizawa 歴史 鎌倉公方と関東管領・観応の擾乱 上の肖像画は、私が学生の頃「源頼朝」だと教わっていた。しかし、近年の研究で「足利直義」の肖像画という説が主流となっているため足利直義と言うことで載せてみました。 足利直義と高師直の対立 初代関東管領足利基氏は、二代将軍 […]
2022年7月9日 / 最終更新日時 : 2022年7月9日 a-tomizawa 歴史資料 天文十八年三月駒井高白斎記 下の文書は、駒井高白斎が記した「甲陽日記(高白斎記)」と言われるものの中に記されたものである。駒井氏は、甲斐源氏武田氏の庶流で巨摩郡駒井郷(山梨県韮崎市)を本拠とする一族である。出家前の諱は、政武とも昌頼とも名乗ってい […]
2022年6月27日 / 最終更新日時 : 2022年6月27日 a-tomizawa 史跡探訪 吾妻に残る中世武士のお墓 上の2基の墓石は、十王堂にある一番古いと思われる墓石です。以前何かの書物(郷土史)で、「小林家の墓所に横谷勘十郎の墓がある」と見た事があるので、恐らくこれがそうであろう。一つが横谷勘十郎、もう一つが横谷左近行重の墓だと […]
2022年6月26日 / 最終更新日時 : 2022年6月27日 a-tomizawa 史跡探訪 横谷地区から川原畑へぬける 本日、6月26日(日)に横谷地区より川原畑地区へ吾妻峡を避ける街道を見つけに行ってきました。街道と言っても、戦国時代に使われていた道ですので当然痕跡はありません。しかし、江戸時代以前は渓谷で道は遮断されていたので、横谷 […]