吾妻の歴史を語ろう










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先史時代から中世までの歴史に包まれた吾妻の地にようこそ 

 四阿山(鳥居峠)を挟んで、上田地方と吾妻は鎌倉時代から深い繋がりを持っていた。海野一族の各氏が特に西吾妻、吾妻川を挟んだ東吾妻の南岸には滋野の流れを汲む多くの人達が入植しその地を支配していた。また東吾妻町原町から東には、藤原秀郷の流れをくむ吾妻氏、里見氏が入植し勢力を張っていた。そんなところに戦国期、特に永禄の頃の戦乱の火種がすでに存在していたのかも知れない。この地の歴史を考えたとき、そのもとは縄文の時代までさかのぼる。縄文弥生の郷原遺跡、ここで有名なのはハート形土偶です。岩下地区には前畑遺跡があります(遺跡としての保存管理はなしで発掘後埋め戻し)。また近年では、唐堀遺跡から遮光式土器の頭部(県埋文)が出土してこれは東北産で関東での出土は珍しいものです。四戸遺跡からは、奈良三彩(県埋文)が出土しています。この地方は、縄文弥生、古代、中世、近世まで多くの史跡で囲まれた自然豊かな地域となっている。また、町の教育委員会下郷古墳群の発掘調査では、刀剣、装飾具などが出土し、さらに馬の装飾具なども発掘され、全国でも珍しい事例となっている(東吾妻町教育委員会)。NHK大河ドラマ「真田太平記」、最近では「真田丸」でこの地も中世についてクローズアップされてきたのであるが、古代よりこの地には騎馬民族が生活していた痕跡が出てきた事は大きな発見であったと思う。また、「岩櫃城跡」は、日本城郭協会が認定する「続百名城」にも認定され訪れる人も多くなっている。以前のサイト「岩櫃城興亡史」では中世を中心に解説してきたのであるが、この地方の歴史について裾を広げていきたいと思っている。とりあえず前のHPの延長で更新しているのであるが、少しずつでも多くの情報を披露できればと思います。

岩櫃城は、岩櫃山から伸びる一つの尾根上に築かれた城である。その特徴は長い竪壕が本曲輪から何条も伸び、その竪壕のほとんどが薬研堀である事から武田式山城と言われている。築城年代ははっきりしないが、前吾妻氏、長尾昌賢(景仲)、吾妻斉藤氏、真田氏と諸説ある。現在の遺構は、完全に真田氏のものであろう。

鎌倉時代末期から南北朝の時代に活躍した、吾妻の地では有名人の一人である。南北朝時代に碓氷の里見一族と争い、吾妻川の立石河原で戦死した。その吾妻太郎と奥方、重臣の墓と言われている。場所は長福寺観音堂の脇にある。

 
 
 

平成28年10月吾妻渓谷に猿橋が出来、仮開通となりました。この紅葉の時期(11月上旬)には橋の上からの素晴らしい景色が見えると思います。ぜひお越し下さい。平成29年に開通となりました。

更新履歴

 
2018.10.24
「2018年岩櫃山紅葉祭」ポスターを追加しました。
2018.11.25
「萩生(境野)城跡」を追加しました。
2018.11.28
各所に書き加えや修正をいたしました。

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