岩櫃城を横切る草津裏街道(真田道)NO1

 本日は、岩櫃城の城内を通る草津裏街道を紹介します。江戸時代以前の街道の検証から、持論を交え解説致します。まずは、現在畑地となる新井地区から殿屋敷手前までを見ていきましょう。

新井地区の中央を突っ切る通路

 岩櫃城の一番東に位置している新井地区、その中央にある旧街道の跡です。国道145号線の新井信号のあたりより、上に登ります。そしてその街道を上っていくと、新井地区の中央を突っ切る形となります。両側が曲輪となり、この街道を登ってくる敵に対して両側から攻撃できるように縄張されている。

現在、街道と言われているところ

 

 ここは、現在のバンショウ坂と言われているところです。この写真の石の杭が、岩櫃山登山道の一合目。ここは堀の跡で、新井地区の東側を南北に走る堀切です。その左側に続く道は、昭和10年に原町発電所貯水池工事用の道路として作られたものです。おそらく途中まで堀を利用して作られたのだと思います。岩櫃城がありし頃、ここは堀として南北に切られていたものだと思います。

東の木戸に向かう虎口

 小さな鉄塔に登る道の途中に、この虎口があります。鉄塔の工事で地形が、大分変わっていますがここがバンショウ坂の入り口であったのでは無いでしょうか。この笹藪の中は、平らなところが続いています。この地点は、新井地区の中央を通ってきて直角の曲がったところにあります。ここで直角に曲がることにより、横矢が掛かっています。まさに城の造りです。

東の木戸字番所の手前

 上の写真は堀切の跡、下の写真は旧街道跡です。ここは平成27年度発掘調査で薬研堀、街道の跡がでています。この薬研堀は、埋められた形跡が見られたのでそれは、岩櫃城廃城の時に埋められた者だと考えて良いと思います。下の写真の街道跡は、三層の踏み固められた地層が発掘調査の結果確認できました。つまり、その時代時代での街道の跡と捉えてよろしいかと思います。

東の木戸手前の馬頭観音

 この写真、中央部に石が見えるのが馬頭観音。現在の道より、大分高い位置にあります。この笹藪の中に分け入ると、平らなところがあり前の発掘調査で発見された街道跡にたどり着きます。現地を確認すれば、今より大分高い位置だというのが分かると思います。現在のバンショウ坂が、大分掘り下げられているのが分かると思います。ここより貯水池東に取り付き、東の木戸となります。

 今回は、新井地区から東の木戸までの街道を確認紹介いたしました。次回は、東の木戸から橋台跡まで紹介します。

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