岩櫃城を横切る草津裏街道(真田道)NO2

今日は、北の木戸から橋台跡北側の平場まで紹介します。

 この写真は、東の木戸の上の土手です。街道は馬頭観音の所から、少し登り斜面でこの所に取り付いていたと考えられます。この北側のUHVの鉄塔のある所は、字「番所」という地名でこの街道の往来を見張っていた場所と考えられる。この位置で少し曲がり、真っ直ぐ伸びていたと思われる。現状では、原町発電所貯水池によって遮断されているので、確認は出来ない。この辺は発掘も難しいと思うので、想像してみるしかないです。

 この道は現在の道と、昔の道が重なっているところです。平成11・12年度に発掘調査されて、石畳の街道と道と町屋を区切る石並びが確認された。七本のトレンチのよって、この所が旧街道であったことが分かった。この写真の右側にUHVの鉄塔があるが、平成21年町によりボーリング調査が行われこの地点は、貯水池建設の残土が捨てられたところであることが分かった。ここの場所は、以前は斜面であったというのが確認されたので、道の南側はもし城下町があったとしても、斜面で建物はなかったと言うことです。「加沢記」ではこの地点、平川戸には60戸の町屋があったときされているがはっきりとした確証は持てない。まあ、貯水池と合わせればそのくらいの家屋があってもおかしくない広さはある。水場はこの道の北側、北の木戸の下にある。

 前の写真の所を西に進み、登っていくと道の脇、ガードレールの下に旧街道の高さが表れる。この路面の高さが橋台跡の所まで続いている。現状では、藪に被われていて確認しずらいのであるが、この藪を歩いて行けば平に進め、橋台跡の橋に到着する。

本日はここまで。次回は、橋台跡から出浦淵(出浦昌相の屋敷跡)までを紹介します。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA