木根の宿探索(令和3年度)

木の根宿跡探索1回目 11月11日(木曜日)

 平成3年11月11日(木曜日)四万湖に午前7時半集合し、私と片貝、黒岩、山本の4名にてまず奥四万湖林道を探索。④まで進みその先を確認するが、ここに通じる道を確認できず。

途中橋の橋台と思われる石垣

④の地点。 ここで林道は途切れる。周辺を探索するも、林道につながる道は分からず。

林道途中にある、温泉が湧いているところ。

登山道を進むと、紅葉真っ盛りです。

 中之条町の史跡の本に載っている、木根宿跡と書いてある地点の向かうポイントに向かう。稲包み山に向かう登山道を進み、赤沢山の先のポイントを確認するために登山する。この日は、起点を確認して下山する。

木の根宿跡探索2回目

令和3年11月25日(木曜日)私と片貝、黒岩三名にて午前6時半奥四万湖集合で、赤沢山先の地図上に定めたポイントを目指す。

 谷に下りる途中、道の跡らしき場所があった。ヤマセ街道の跡でははないかと思う。精査しなければ分からないが、本日は目的が違うのでさらに先に進む。

 四万川近くまで下ると、昔のヤマセ索道の跡と思われる場所に遭遇。周辺を確認するが、石積等はなく僅かに橋台の石垣が残る。この石垣は、積み方を見ると近代の石垣ではないのかと思われる。回りには、屋敷を建てられる平場が道の上としたに有り、水も確保できるところから何らかの建物があったとしても不思議ではない。しかし、昭和9年の記録を見るとここは、茶屋跡と伝わる場所のようである。この場所は、板椿ノ沢と四万川の合流地点周辺である。

 橋台の石垣。

ヤマセ索道の跡。時間的に午後1時ぐらいになっていたので、ここより下流に下る。

 索道の跡らしき場所をさらに下るが、橋はみな崩落していて回り込まないと進めない。

 このようなガレ場を下ると、いったん索道は四万川を対岸へと渡る。これは対岸へ渡る橋の橋台だと思う。この地点で、四万川の浅瀬を見つけ対岸へ渡る(水深50cm)。水は冷たい。この時片貝、黒岩両名とはぐれたが私も戻るに戻れないところまで下ってしまったので、両名の無事を祈りつつさらに下流へと進む。

対岸には、このような素掘りのトンネルが三箇所あった。最初のトンネルをくぐり抜ける。

このようなところに出くわし、先に進めないのでツガノ頭尾根に向かい150m位上に登る。急斜面を登っていくと、途中に獣道のようなところがあり、そこを更に斜面を横切り下に向かって進んでいった。ツガノ頭から伸びる急斜面の尾根を命がけで三箇所超えると、一番最初の地図にあるツガノ頭沢が滝となって四万川に落ち込んでいる所に出る。その手前から四万川に下りていく。もう少しで、11月11日に確認した地点に到着である。ただし、ほとんどかんであるので、下ったところが私の思っているところと違えば、確実に遭難である。覚悟を決めて下ると、林道先の地点に到着して四万川を渡り(水深50cm程度の浅瀬)林道に到着。時間は午後4時半、ぎりぎりの下山となってしまった。ここから車を駐車しているところまで、林道と舗装路を進むと到着は午後4時50分。車に片貝、黒岩両氏はいない。15分ぐらい車で待機して、待つ。下ってこないので、ヘッドライトと懐中電灯を持ち再び登山道へ。あたりは真っ暗である。登山道を四、五キロ上ると携帯電話が圏内となる。ここで黒岩氏に電話を掛けると通じ、両氏のいる所が分かった。今日は月も出ていなくて、山は真っ暗である。さらに登山道を上ると両氏と行き会い、無事に帰還できた。私もほっとしました。

今回の結論と結果

1.今回行った場所は、木の根宿跡ではなく茶屋跡と伝わる場所であった。

2.昭和9年の記録で登った道「ヤマセ索道の跡」は、現在では橋がすべて崩落していて通れない事。11月11日に確認した林道の末端が、対岸でつながっていました。

3.そのときの記録には高さ2間、幅8間の石垣があり、その上部に礎石があったと。そしてコシキ沢がその付近に流れ落ちていると言う事。

以上を踏まえると、木根の宿はもっと上流で三坂峠から真っ直ぐ四万川源流に下りたところではないか。中之条町猟友会の方に聞いた話では、そこに到着するまでに掛かる時間は奥四万湖、新潟浅貝双方共に7時間以上掛かるという。四万川源流は谷が非常に深く危険である事や、春から秋にかけて山ヒルが居る事、熊が生息している事など考えると慎重に一泊二日もしくは二泊三日と言う探索が必要になると思われる。何れにしても、簡単に見つける事が出来ないので、「幻の宿」と呼ばれているのではないでしょうか。また、来年の秋に計画します。山中泊を辞さない猛者の方が居られましたら、お申し出頂ければ幸いでございます。

それとこの三坂峠の稲包山に関して、新たな動きがありました。東吾妻町原町の大宮岩鼓神社の「蕨手刀」が、兵庫県の大学で本格的に調査されるようです。この「蕨手刀」は、関東より以北独特の作りでこの刀は、奈良正倉院のものと二ふりしかないと言う事で、「国宝級」のものだそうです。元慶の乱のとき、上野で兵を集め三坂峠を越えて羽州に攻め入った。そのとき稲包山に「稲包大明神」としてまつり戦勝祈願をし、その里宮が大宮岩鼓神社ではないかと言う事だそうです。この事も合わせ、分かり次第紹介していきたいと思います。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


前の記事

旧六合村落人屋敷跡