天文十八年三月駒井高白斎記

 下の文書は、駒井高白斎が記した「甲陽日記(高白斎記)」と言われるものの中に記されたものである。駒井氏は、甲斐源氏武田氏の庶流で巨摩郡駒井郷(山梨県韮崎市)を本拠とする一族である。出家前の諱は、政武とも昌頼とも名乗っていたという。武田信虎、晴信の二代に仕えた。譜代家老衆であったと言われている。「高白斎記」は、武田家用務日誌を基に編集されたとされ、同時代史料で一次資料として信用性が高いとされている。

 さて、以下の文であるが、望月源三郎信雅(望月惣領家)の朱印状を、真田幸綱から依田新左衛門(上田市生田字茂沢の茂沢城主)渡されたという事だ。これは、真田幸綱が武田晴信を頼って間もない頃の事でしょう。天文十八年にはすでに、武田晴信に従い信濃の国人に対して使者として活動していたのがわかる文献です。この頃には、すでに箕輪城長野業政から離れ、武田晴信の配下で働いていたとわかる貴重な資料です。幸綱はこの頃、村上義清方の国人衆の切り崩しを行っていたのでしょう。

戦国遺文真田氏編第一巻より

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