三原三騎・吾妻四騎の横谷左近の本拠
横谷氏と横谷地区
真田十勇士、猿飛佐助のモデルになったとも言われた横谷(よこや)氏、その本拠であった横谷地区を紹介します。戦国末期の当主は横谷左近行重で、長篠の戦い、小田原の役、大坂の陣など主立った戦に参加した歴戦の勇士でした。犬伏の別れの時真田昌幸が本領上田に帰る際この横谷氏の屋敷で休息し、行重は自身は敵対した信幸の家臣だったので、弟庄八郎重氏を道案内として昌幸に従い第二次上田合戦、九度山、大坂の陣などに昌幸、信繁(幸村)に従った。そして、大坂冬の陣の時信繁(幸村)と共に戦死した。「真田不思議なる弓取り・日本一の兵(つわもの)」と言わしめた。真田氏は、局地戦においてのゲリラ戦を得意としており、そのような戦を得意としていた吾妻の諸氏は、昌幸のもと大いに活躍した。その筆頭の一人にあげられるのが、この横谷左近でしょう。上の手書きの地図は、この地区で「鍛冶屋」の屋号を持つ野口さんの調査にもとずく、手書きの地図である。
横谷氏の出自と領地
よこやの地名の由来は谷の横、つまり吾妻渓谷の横の場所であるので「よこや」と古来から言われていたと伝わる。滋野三家の望月重時という人があった。その子が三人居り、嫡男重時と三友之助・源二郎は朝日将軍義仲に従った。寿永3(1184)年1月鎌倉軍との戦いに於いて義仲は敗れ、近江国粟津で主従共に打たれた。重時はこの時宇治川の戦いに於いて戦死、三友之助と源二郎がこの吾妻に落ち武者として落ち延びてきたのです。伝承では、頼朝が将軍宣下を受けたとき那須の巻狩を終えて三原野の巻き狩りをしたとき兄弟その勢子をして、頼朝から「湯本」と「横谷」の姓を賜ったと言い伝えられている。次に横谷氏の領地について紹介したい。下に示すのは横谷左近の玄孫、横谷勘十郎重久(寛文年中)の時の沼田藩での知行である。
林 八十一石 横谷 三百五十石 松尾 十五石
計 四百四十六石
その軍役は騎馬武者1名と従者9名で、徒侍2名と主人の3名が戦闘兵力で替馬1頭。これが四百石の軍役で、騎馬武者1名と従者11名で、戦闘兵力は四百石と同じく3名である。
江戸時代以前の道陸神峠
上の野口さんの地図を参照にして、まず「たかのす」と呼ばれる修練所を確認してきた。
たかのすと言われている、忍者の修練所と言われている場所である。分かりずらいが、岩場があってそれらしき場所ではあります。いかにも、修行の場という感じが致します。
道陸神峠?
この地図を確認すると、横谷から安原に出て高間山を経由して王城山から林に下るというルートが街道であったと思う。そして間道として最短ルートである、道陸神峠があったのでは無いか。江戸時代の道陸神峠のあとは、旧渓谷熊野茶屋唐山に入る道が確認でき道標も確認できる。そこで今回は、江戸時代以前の街道を見つけてみようと言うことで、横谷地区に流れる平沢川の少し上流から山中に入った。そして、八ッ場ダムの上にぬけるルートを探索してみました。明治大正時代の地図にも、この山道は乗っていません。横谷から安原にぬける道は、地図上に点線で示してあります。近年まで、横谷地区の人は安原の畑を耕していたという。
この地図は、横谷地区平沢川を渡り吾妻渓谷裏手を抜け、八ッ場ダムサイトにぬけるルートを示した地図です。まず、平沢川を少し上流に登り歩行者用の鉄橋を渡ります。そこから「草刈場」と呼ばれている場所を目指し、そこから尾根に入り尾根上を登っていきます。
行程 3.7km
高低差 登り 502m 下り 397m
所要時間 3時間42分
ペース ゆっくり
道路からは見えないが、藪の中をのぞくと平沢川を渡る橋が見えます。ここから入ります。ここから少し道の跡があるので、道なりに登っていきます。近年まで横谷の人達は、この上の「草刈り場」という所に作業に行っていたようです。そこまでは、道があります。
全行程の五分の一ぐらい、道の痕跡がありました。この道は、「草刈場」に向かう道のようです。もう一本横谷の砦跡の尾根からも、この道に、通じる所があったようです。
この地点で、道と思われる場所から外れ峰へ入ります。山歩きするときは、必ず尾根を歩きます。そうすれば、遭難するリスクが少しは下がります。ここから八ッ場ダム上のトンネル上遊歩道を目指し登っていきます。一本の尾根を、ただひたすらピークを目指して登ります。方向さえ見失わなければ、迷うことはありません。
しばらく、このような緩やかな尾根が続きます。ひたすら上を目指して、ゆっくりと登っていく。そしてこの尾根はだんだんと、急になってきます。熊も出るので、周囲を注意して登ります。このような見通しのきく場所でしたら、早く獣を発見できて被害も軽減できます。
岩場の尾根に当たり、このようなところが少し続く。気を引き締めてもぼります。岩場もだんだん急傾斜になり、危ないところは回り込んで登ります。馬は無理でも、徒歩なら越えられる山という感じがします。用途としては、緊急の間道といったところかもしれませんね。
木の根が、地面から出ているところ。このようなところを、しばらく登る。疲れるとよくこのような木の根に躓くこともあるので、足下をよく見て登らなくてはなりません。その先には、岩場がまた現れました(上の写真の奥)。
このピークが、茂四郎山か?ピークに到着しました。ここからは、谷を避けて下ります。谷を下りると、遭難のリスクが上がるので、私は谷を下りることはありません。ただし、谷を渡り反対の尾根に登ることはあります。ここに和鹿の角が落っていたので、拾ってきました。和鹿の角は生え替わるので、あまり珍しいものでは無いが、カモシカの角は生え替わらないので大変貴重です。ある筋からカモシカの角を入手しましたが、ジオパークガイドをしておられる方が頂きたいと言っていたので譲ってしまいました。このピークの所が重要で、下に下る尾根が何本かありその尾根を間違えると全く違うところに出てしまいます。これは、GPSと長年の経験をもとにした感働きが役立ちます。
八ッ場ダムサイトトンネル上遊歩道入り口に、出てきます。ここを歩いてみて、吾妻渓谷から川原畑、林に抜ける道はここが、違っても遠からずという感じがしました。こう言う昔の道と思われるところは、道の痕跡も無く難しいのですが吾妻谷に残る旧峠を、時間ある限り歩き、見つけていきたいと思います。こう言う山は、周りに木が生い茂り目印も無いためGPS、地図等用意して自分の現在位置を把握しながら歩かないと、遭難と言うことにもなりかねません。また、山中では携帯電話も圏外のと頃も多く複数人でいく場合は、無線機(トランシーバー)等も用意が必要になると思います。今回は短い行程(3時間半程度)でしたので、一人で歩きましたが行程が長い場合、複数人での行動が有効かも知れません。今回は、プチ冒険と言ったところでした。