丸山城縄張図

丸山城(須賀尾上城)跡の解説

場所:群馬県吾妻郡東吾妻町須賀尾字清水
城域解説
 城域は酒屋の角谷さん、道路の反対側である。城域全体は堀で囲まれていて、東側は沢に接し二重堀となる。一の曲輪は西北に位置する一角である。そこから東に向い梯郭式に四段曲輪があり四段目の北側には、土塁の跡も確認でき搦手となる。堀を挟んで南側にも東に向い梯郭式に四段の曲輪がある。このうちの三段目まで南側に唐堀があり、堀切を二つはさんで、位置の曲輪を守っている。その先はゆるい斜面の曲輪で、東北側の追手道に繋がる。
沿革
 この城は大戸真楽斎の臣、丸山勘解由、高橋丹後守とうがここに拠ったという。天正十年(1582年)九月大戸城と共に陥落したという。また一説には、天正十八年(1590年)大戸、白井の城と共に陥落したとも伝えられている。天正十八年(1590年)落城説を取ると、豊臣秀吉の小田原征伐の年であるので後北条方が、大戸手子丸城からこの辺までを領していたのか。しかし、その当時真田昌幸がこの信州街道を押さえていたと思われるのでつじつまは合わない。加沢記に出てくる真田信幸初陣(一場の鼻剃り)の項に出てくる、天正十年(1582年)九月に後北条氏によって取られた大戸手子丸城を奪い返したと載っている。この城が落城したのはこの頃のことの方が、信憑性は高いと思う。