岩島地区は、吾妻川を挟んで南北に分かれる。ここは風習の違いも見られ、興味深い地区である。一つ例をあげれば、五目飯である。北岸である岩下地区は酢飯で、南岸である三島地区は酢を入れない飯を使う。また、三島根小屋城と岩下城の関係を見れば、根小屋城の斥候山(城山)からは岩下城が眼下に見える。まさに、根小屋城は、岩下城を監視していたとみることも出来る。古谷舘跡、郷原城跡は岩櫃城の西を守る要害で、雁ヶ沢(横谷)城は渓谷を越える道陸神峠の抑えと言うこと。その辺の地勢を見ながら確認してもらいたい。岩下城は、「吾妻斉藤氏の本拠」という考えが、今は専門家達の通説の成りつつある。
岩下城跡
岩下城縄張図岩下城解説比高120メートルの山上、東西200メートルの間に築かれ、中央の大堀切によって東西に分かれている。西が本曲輪群、東が第二曲輪群です。...
続きを読む三島根小屋城跡
三島根小屋城縄張図三島根小屋城解説 三島根小屋城は「鉄塚」と呼ばれる丘城と「斥候山(城山)」とで構成されている。「鉄塚と呼ばれている丘城は居館の跡かも知れ...
続きを読む雁ヶ沢(横谷)城跡
雁ヶ沢城縄張図雁ヶ沢(横屋城)城跡解説 「吾妻郡城壘史」に雁ヶ沢城とのっていたので、そのまま雁ヶ沢城としました。実際の立地を見ると、雁ヶ沢というより横谷に...
続きを読む郷原城跡
郷原城跡縄張図郷原城解説 古谷地区潜竜院跡の上の方岩櫃登山道赤岩口付近に郷原の要害跡があります。この要害の規模は柳沢城(岩鼓の要害)より更に小さく、用途と...
続きを読む古谷舘跡
古谷舘跡見取り図古谷舘跡解説・伝説・伝承を踏まえて天正十(1582年)年三月、武田氏が滅亡せんとしたとき勝頼を迎え家運を挽回せんとしたところです。...
続きを読む