2024年2月6日 / 最終更新日時 : 2024年2月7日 a-tomizawa お知らせ 第6回岩櫃フォーラムに参加して 去る令和六年二月四日(日)、第6回岩櫃城フォーラムが東吾妻町コンベンションホールにて、主催:東吾妻町教育委員会、後援:群馬県・上毛新聞社・東吾妻町観光協会で行われました。講師に、江戸東京たてもの園学芸員:齋藤慎一氏、公 […]
2023年2月5日 / 最終更新日時 : 2023年2月15日 a-tomizawa 歴史 役小角と山岳信仰 役小角の本姓は、賀茂役氏である。この氏族は賀茂神社の神官として、代々勤めてきた一族である。元々は、大和国葛城山を霊山として信仰してきた古代氏族であったのかも知れない。その一族は役民を束ね、勢力をその地に張った大和政権成 […]
2022年12月16日 / 最終更新日時 : 2022年12月17日 a-tomizawa 歴史 吾妻鏡 第二 大神宮に奉納する神馬の記述 養和二年(1282)年壬寅正月二十八日巳亥 (伊勢)大神宮の奉納する神馬・砂金等のことにつき、今日潔斎したものが献じた。(頼朝)御所でこれらを御覧になり、直接お選びになった。まず金百両を千葉介常胤・小山小四郎朝政等が進上 […]
2022年11月15日 / 最終更新日時 : 2022年11月15日 a-tomizawa 歴史 碓氷里見氏の成立と武衛(頼朝)との関係 貞和五年吾妻太郎行盛は、碓氷の里見氏に敗れ戦死した。この室町時代初期の碓氷里見氏の攻防が、吾妻の伝承の中にある。ここで碓氷里見氏の事象を調べることにより、吾妻の歴史をひもとくきっかけになればと思います。まず最初は、碓氷里 […]
2022年10月19日 / 最終更新日時 : 2022年10月19日 a-tomizawa 歴史 横谷地区より川原畑踏査2回目 令和4年10月15日(土)、横谷地区~川原畑に続く山道を踏査してきました。今回は、前回踏査した所から分岐の脇道を進み、横谷城(雁ヶ沢城)跡に繋がる尾根を目指しました。谷を横断して、一番南の尾根に出て茂四郎山を経由して前 […]
2022年9月5日 / 最終更新日時 : 2022年9月5日 a-tomizawa 歴史 吾妻鏡の三原野の巻狩 建久四(1193)年3月25日、武蔵国入間野で追鳥狩が行われた。藤沢治郎清親が百発百中の腕前を見せて雉五羽を捕獲し、まなづる二十五羽を捕獲するという名誉を挙げた。将軍家(頼朝)は御関心の余り、お乗りになっていた一郎という […]
2022年7月19日 / 最終更新日時 : 2022年7月20日 a-tomizawa 歴史 鎌倉公方と関東管領・観応の擾乱 上の肖像画は、私が学生の頃「源頼朝」だと教わっていた。しかし、近年の研究で「足利直義」の肖像画という説が主流となっているため足利直義と言うことで載せてみました。 足利直義と高師直の対立 初代関東管領足利基氏は、二代将軍 […]
2022年6月21日 / 最終更新日時 : 2022年6月27日 a-tomizawa 歴史 吾妻太郎伝説 吾妻の地頭吾妻太郎大掾藤原行盛朝臣と千王丸 この吾妻の地に残る、「吾妻太郎記」という古文書がある。これによると吾妻太郎行盛は、岩櫃城主で吾妻氏の第五代当主と言う事である。貞和五(1349)年行盛は、碓氷の里見義時親子に […]
2022年5月28日 / 最終更新日時 : 2022年5月28日 a-tomizawa 歴史 信濃の国人領主真田氏其の系譜 其の2 滋野氏の出自 飯島、黒坂両氏は、それまでの研究を整理した。滋野氏の出自は、奈良時代大学頭兼博士であった樽原東人であるという。東人は天平勝宝元年(749)駿河守就任時、産出した黄金を献上し称えられ伊蘇志臣の姓を賜った。東 […]
2022年5月25日 / 最終更新日時 : 2022年5月28日 a-tomizawa 歴史 木曾義仲を守った横谷左近の先祖 横屋左近 横屋地区は古くから横谷氏の本拠として横谷砦、舘跡、町屋跡などが現在でも確認できる中世の地方豪族の様子を確認できる数少ない地域である。戦国時代ここを本拠としていた横谷左近行重は、信州小県の望月の別れである。滋野 […]